わたしが物心ついた頃には、我が家にはすでにクルマが三台あったので(センチュリーと父の乗っていたセダンと、史子さんが乗っている小型車だ)、自動車を買うのにどれくらいの費用がかかるかなんて考えたこともなかった。それはもしかしたら、裕福な家庭に育ったせいで金銭感覚がおかしくなっているからかもしれないけれど。「……っていうか桐島さん、今日も会社早退してきたんだよね? 大丈夫なの?」 わたしは会社内での彼の立場を心配して、そう訊ねた。「大丈夫ですよ。……実は僕、以前から総務課で上司のパワハラ被害に遭ってまして、部署を異動することにしたんです。で、今は異動先の部署の研修中で早く退勤させてもらってるんです。お母さまの計(はか)らいで」「そっか……、異動するんだ。どこの部署?」「えーと……、それはまだお教えできません。そのタイミングが来たら、真っ先に絢乃さんにお伝えします」 わたしの質問にお茶を濁した彼は、「できればその時が来ないでほしい」と言っているようにも思えた。「あと、新車も真っ先にあなたにお披露目(ひろめ)しますね。楽しみにしていて下さい」「うん、楽しみにしてる」 推定年収六百万円の彼が、その年収の三分の二もかかる大金をはたいて購入した新車。最初に披露してくれるのがわたしなんて嬉しくて仕方がなかった。「――わぁ……、スゴくいい眺め!」 わたしのお小遣いで二人分のチケットを買って天望デッキに上がった途端、わたしはガラス越しに見えた東京の街並みに歓声を上げた。地上三百五十メートル地点から見ると、篠沢商事本社のある丸ノ内も新宿の高層ビル群もミニチュアのように見えた。「気分転換できました?」「うん! 来てよかった。桐島さん、連れてきてくれてありがとね!」 行き先をリクエストしたのはわたし自身だったけれど、イヤな顔ひとつせずに付き合ってくれた貢は本当にいい人だ。「――ところで絢乃さん、お小遣いって毎月いくらくらいもらってるんですか?」 彼が素朴な疑問を口にした。わたしが学校から家まで送ってくれたお礼にと五千円札を握らせ、スカイツリーの入場チケットも彼の分まで買ったので訊きたくなったのだろう。「んー、毎月五万円。でも、わたしには多いくらいなんだよね。ブランドものとか好きじゃないし、高校生の交際費なんて限られてるでしょ」 特に使い道のないお金は余る
「確かにそうかもしれませんけど。お嬢さまって、もっとお金を湯水のように使うイメージがあったので、つい……」「よそのお嬢さまはどうか知らないけど、ウチはそんなことないよ? パパは元々一般社員だったし、ママだって教師やってた頃は自分のお給料、自分で管理してたっていうし。わたしも、そんな両親を見習ってるから」 彼の持つイメージはわたしと真逆だったので、苦笑いしながら答えた。 里歩と放課後にお茶する時だって、わたしは高級カフェよりもお手頃価格のコーヒーチェーンやファストフード店を選んでいたし、コンビニでスイーツやペットボトル飲料を買うこともしょっちゅうだ。そうやって、いかにお金をかけずに楽しく過ごせるかということを心掛けていた。ケチだからではなく、里歩や周りの人たちに気を遣わせたくないから。「お金がたくさんある人ほど、お金の使い道には気を遣うものなんだって。これ、ママの請(う)け売りね」「なるほど……」 よそのお宅はどうだか知らないけど、少なくともウチは代々そうしてきた。「――お父さまとは、お家でどんな感じですか?」「パパが病気だって分かってから、よく話すようになったよ。学校のこととか友だちのこととか、TVの話題とか。今までこんなに話してなかったことあったのかー、ってくらい。大した内容でもないのにね、何か話してるのが楽しいの」 父との関係を訊ねた彼に、わたしは目を細めながら答えた。秋は日暮れが早く、西の空はオレンジ色と紫色のグラデーションになっていた。「余命宣告された時はショックだったけど、今はパパと過ごす時間の一分一秒が尊(とうと)く思えるの。そう思えるようになったのは貴方のおかげだよ。桐島さん、ホントにありがと」 そう言って彼に向き直ると、夕焼け色に染まった彼の姿にドキッとした。あまりにも幻想的で、ロマンチックだったから。「いえ、感謝されるようなことは何も……。ですが、僕のアドバイスが絢乃さんに受け入れて頂けたようでよかったです」 彼はまた照れたように謙遜した。彼は元々照れ屋さんなのかも、と思った。「そういえば、もうすぐクリスマスですね。絢乃さんはもう予定が決まってらっしゃるんですか?」「……う~ん、まだ特にこれといっては。桐島さんは? 彼女と過ごしたりするの?」 わたしは当たり前のように訊ねたけれど、そういえば彼に恋人がいるかどうかも
――翌日の終礼後。教室で帰る支度をしながら前日の貢との話を里歩に聞かせると、彼女にこんな質問をされた。「ねえ、アンタと桐島さんってもう付き合ってんじゃない?」「付き合ってないない! お互いそれどころじゃないし、そもそもわたし、『付き合う』の定義が分かんないもん」「そうかなぁ? じゃあさ、定義が分かってたら付き合ってるってこと?」「それは…………」 わたしは詰まった。たとえ定義を知っていたとしても、付き合っているかどうかをわたし側だけで決めるわけにはいかない。「桐島さんの方の気持ちが分かんないと、付き合ってるとは言い切れないんじゃない? ……多分」 苦し紛(まぎ)れにそんな言い訳をしてみると、里歩がニヤリと笑った。「あたし思うんだけどさぁ、多分桐島さんもアンタのこと好きだね」「えっ!?」「だってさぁ、大人の男が好きでもない女子高生と連絡取り合ったり、ドライブデートに連れ出したりする? ヘタしたらパパ活と間違われかねないのに」「パパ活なんて、彼はまだそんな歳じゃないよ」 わたしは反論した後、論点がズレていることに気がついた。言い方こそ乱暴だけれど、里歩の言いたかったことは的を射ていた。「そう……なのかなぁ」 もしそうならいいのになぁと思いつつ、そうじゃないと思っていた方がいいとも考えた。期待していたら、違った時のショックが大きいから。「――あ、ところでさ。今年のイブなんだけど、お台場行きはやめてアンタの家でパーティーするってどう?」「パーティーって、クリスマスパーティーのこと?」「うん。ホームパーティーなら、絢乃もお父さんの心配しながら出かける必要ないし、お父さんも体調よければ参加してもらえるし。いいんじゃない?」「なるほど……、ホームパーティーか。いいかも」 里歩の提案は、ナイスアイディアだとわたしも思った。どうして気づかなかったんだろう?「みんなでケーキとかごちそう食べて、歌って、プレゼント交換とかやってさ。楽しそうじゃん? あたし、久々に絢乃の手作りケーキが食べたい♪」「うん! じゃあ、久しぶりに腕ふるっちゃおうかな」 わたしは学校でどの教科も(体育だけは除いて)成績がよかったけれど、中でも家庭科の成績はピカイチだった。料理は得意中の得意で、趣味はスイーツ作りなのだ。それはもう、プロ級の腕前と言ってもいい。「家に帰
* * * * ――その日の夕食の時間、わたしは両親に里歩から提案されたクリスマスパーティーの話をした。「……あら、いいじゃない! やりましょう、クリスマスパーティー! ねえあなた?」 母はわたしの話を聞き終えるなり、乗り気になった。「そうだな。お父さんも体調がよければ参加しよう。疲れたらすぐ部屋に戻るが、それでもよければな」「それはもちろんだよ。パパの体調が第一だもん」 わたしも母も、父には無理をさせないつもりでいた。もちろん、提案してくれた里歩もそうだろう。 その頃の父はもう、抗ガン剤の中で最も強めの薬すら効果が出ないくらいに病状が悪化していて、後藤先生からも「年を越せるまで体力がもつかどうか分からない」と言われていた。歩くことさえままならず、移動は車イス。会社に顔を出すことも困難な状態になっていたのだ。「そうだ、絢乃。クリスマスパーティーに一人、招待してほしい人物がいるんだが。篠沢商事の社員で、桐島という男だ」「えっ、桐島さんを?」 父の口から彼の名前が飛び出すとは思ってもみなかったわたしは、動揺から思わず声が上ずった。「なんだ、絢乃は桐島君と知り合いだったのか。――彼には会社で何度か助けてもらっていてな、礼をしたいと思っていたんだ」「そうだったんだ……。うん、分かった。わたしから連絡してみるね」「あら、よかったわねぇ絢乃。桐島くんのこと好きなんだものね?」「えっ⁉ ママ、いつから気づいてたの……」 図星を衝かれてうろたえるわたしに、父も「やっぱりそうか」と頷いていた。母どころか、父にまで彼への気持ちがバレバレだったなんて……!「…………実はそうなの。わたしね、生まれて初めての恋をして、その相手が桐島さんで」 これは愛読している恋愛小説から得た知識で、父親というのは娘の恋人がどんな男性でも気にいらないものらしい。だから、わたしも父に申し訳ないと思ったのだけれど。「いいじゃないか、絢乃。彼が相手なら、お父さんは大賛成だ。きっと絢乃のことを大事にしてくれる、桐島君とはそういう男だ」「そうね。ママも、彼が絢乃の彼氏になってくれるなら大歓迎だわ」「あ……そうなんだ。でも、わたしたちまだ付き合ってるとかじゃ……」 両親が早とちりをしてそんなことを言っているんじゃないかと思い、わたしは慌てて否定したけれど。そこではたと気づ
「…………うん。パパ、ありがとね。じゃあ、クリスマスパーティーをやるってことで、里歩にLINE入れとくね。あと桐島さんにも、わたしからちゃんと伝えとくよ」「ありがとう、絢乃。頼む」「うん」 * * * * ――夕食後、自室に戻ったわたしはさっそく里歩にLINEを送信した。〈里歩、朗報だよ! クリスマスパーティー決行します!! パパもママもすごく乗り気になってくれたよ♪ あと桐島さんも招待することになりました♡〉〈よっしゃ、オッケー☆ じゃあイブの予定空けとく。 桐島さんも来るんだ? 絢乃、ドキドキだね……♡〉〈うん、パパから頼まれたの。ついでに、わたしが彼に恋してることもバレてた(汗)〉〈あれまあ〉 里歩からの「あれまあ」の後には、「それは困ったねー」と言っている可愛いペンギンのキャラクターのスタンプが押されていた。〈別に困ってはいないよ。 というわけで、プレゼント交換もやるからねー♪ 何がもらえるか楽しみ♡ わたしもプレゼント、頑張って選ばないと!〉 里歩から「りょーかいしました!」のスタンプが返ってきたところでLINEのアプリを閉じ、彼には電話でイブのパーティーのことを伝えたのだった。「――桐島さん、今大丈夫? あのね、イブなんだけど……」
――そして、父と過ごす最後のクリスマスイブ当日。「ふぅーーっ……。絢乃、飾りつけはこんなカンジでいい?」 学校はすでに冬休みに入っていて、午後イチで来てくれた里歩はパーティー会場となったリビングダイニングの装飾やケーキ作りなどを張り切って手伝ってくれた(とはいっても彼女は料理があまり得意ではないので、ケーキに関してはイチゴのトッピングを手伝ってもらっただけだった)。 彼女はもう十年以上前から篠沢邸に遊びに来ていたため、我が家でも「勝手知ったる」という感じだった。「うん、いいんじゃない? ツリーも飾ったし、このサンタ帽もクリスマスらしくていいと思う。ありがとね、里歩」 里歩の長身は、高いところにガーランドを飾るのに大いに役立った。わたしや母では身長が足りなくて届かないのだ。「桐島さん、そろそろ来るかなぁ」「そうだね。夕方六時スタートって伝えてあるから、もう来る頃かな」 わたしは腕時計を見ながら、里歩に答えた。 ――あの夜、「クリスマスイブの夕方から我が家でパーティーをやるんだけど、来ない?」と彼を電話で誘ったところ、最初は「僕が行ったら場違いなんじゃないですか」と遠慮していたけれど、父が招待したいんだと伝えると、かしこまったように「参加させて頂きます」と言ってくれた。 後から知ったことだけれど、彼はウチに来ることを「敷居が高い」と思っていたらしい。何の負い目もないはずなのに。それとも、わたしに好意を持っていることを父に後ろめたかったんだろうか。 ――ピーンポーン……、ピーンポーン……。 六時少し前、リビングにインターフォンの音が響いた。……来た来た! カメラ付きインターフォンのモニターを確認すると、「ちょっとおめかししました」という感じの私服姿の彼が映っていた。「――はい」『あ、桐島です。今日はお世話になります。――クルマ、カーポートに勝手に停めさせて頂きましたけど』「いらっしゃい、桐島さん! 全然オッケー☆ 門のロック開いてるからどうぞ入って」 モニターを切ると、史子さんがポカンとした顔で後ろに立っているのに気がついた。「……あ、ゴメンね!? 史子さんの仕事取っちゃって」「いいえ、よろしゅうございます。お嬢さまのお知り合いの方でございましょう?」「うん。パパの会社の人だよ。今日のメインゲスト」 その言い方は少しオーバ
「分かりました」とニコニコ顔で頷き、史子さんはやりかけだった他の仕事に戻った。「――じゃあわたし、桐島さんを出迎えに行ってくるね」 里歩にそう言ってリビングを出ようとすると、「絢乃、ちょっと待ちな」と引き留められた。「なに?」「アンタ、鼻のアタマにホイップクリーム付いてるよ。その顔で彼を迎えるつもり?」「えっ、ウソ!?」 彼女はさりげなく、デニムのミニスカートのポケットから手鏡とポケットティッシュを取り出し、わたしの鼻に付いた汚れを拭き取ってくれた。「……はい、取れた。まったくこの子はもう、手がかかるんだから」 やれやれ、と呆れたように肩をすくめた里歩は、同い年だけれどわたしのもう一人の〝お母さん〟みたいだった。「ありがと。じゃあ、今度こそ行ってくるね」「――絢乃さん、今日はご招待、ありがとうございます。おジャマします」「いらっしゃい! 来てくれてありがとう。どうぞ、これに履き替えて。会場はリビングダイニングなの」 わたしは玄関にいる貢をとびっきりの笑顔で迎え、来客用に用意された紺色のモコモコスリッパを勧めた。ちなみに、里歩もそれの色違いであるピンクのスリッパを履いていた。「……あの、玄関に女性もののウェスタンブーツがあったんですけど。あれはどなたのですか?」「わたしの親友だよ。中川里歩っていう子で、今日も午後イチで来て準備を手伝ってくれたの。後で紹介するね」「……そうですか」 廊下でのわたしとの会話中も、彼はソワソワと落ち着かない様子だった。やっぱり、わたしのカンは当たっているんだろうかと思い、先手を打ってみた。「――ねえ桐島さん。わたしとちょくちょく会ってること、パパに後ろめたいと思ってるなら大丈夫だよ? パパも知ってるもん」「え…………、そう……なんですか?」「うん」 わたしは頷いてから、「それはどうして」と理由を掘り下げられたらどうしようかと思った。ここは告白するタイミングではなかったし、うまく言い逃れる自信もなかったから。「ああ、そうだったんですか。よかった……」 ようやくホッとした様子の彼を見て、わたしのカンは当たっていたんだと確信した。まだ、彼がわたしに対して抱いている好意が恋心かどうかまでは分からなかったけれど。「――ところで今日、お父さまの具合は……? もう会場にいらっしゃるんですか?」「まだ部屋に
その頃の父は、後藤先生も言っていたとおり体力はほぼ残っていなくて、気力だけで生きているような状態だった。体重もかなり落ちてはいたけれど、最近の抗ガン剤は副作用が少ないらしい。髪が抜け落ちるようなこともなく、痩せた以外は病気になる前の父とほとんど変わっていなかった。「……もう、わたしもママも覚悟はできてるの。パパは十分頑張ったんだから、旅立った時は『お疲れさま』って見送ってあげようね、ってママと話してて」 彼が気を遣わないように、わたしは努めて明るい口調を心掛けた。 父の余命宣告をされた日に泣いて以来、彼の前では一度も涙を見せないようにしていた。彼は優しい人だから、わたしが泣いていたらきっと自分のことのように心を痛めてしまうだろうと思ったのだ。「……って、なんかゴメンね! 今日はこんな湿っぽい日じゃないよね」「絢乃さん……、大丈夫ですか?」「うん、大丈夫! ――あ、ここがリビングダイニングね。どうぞ」 わたしが無理をしているんじゃないかと心配してくれていた彼に、わたしはカラ元気で答えた。「里歩、桐島さんが来てくれたよー。……って、パパ! 今日は気分いいみたいだね。よかった」 貢を連れてリビングダイニングに戻ると、車イスに乗った父が里歩にサンタ帽を被らされていた。「会長、今日はお招き頂いてありがとうございます。お邪魔させて頂きます」「桐島君、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。よく来てくれたね、ありがとう。楽しんでいきなさい」「はい」 勤務先のボスに対しての接し方で挨拶した彼を、父は穏やかな笑顔で迎えた。「社員はみんな家族」という考え方がここでも表れていて、父らしいなと思った。「――それで、こちらが絢乃さんのお友だちの」「中川里歩です。初めまして、桐島さん。絢乃がいつもお世話になってます」「ああ、いえ。初めまして、里歩さん。桐島貢と申します。よろしく」 彼はわたしと同じく八歳年下の里歩に対しても態度が固く、わたしも里歩も苦笑いした。「桐島さん、もっと肩の力抜いて。里歩はわたしと同い年だよ」「そうですよー。ほら、リラーックスして」「……はあ」 わたしと里歩が貢の肩や背中をポンポン叩くと、彼は困ったような笑顔を浮かべた。 ちなみに、あれから一年半が経った今でも、彼の里歩に対する態度は相変わらず堅苦しい。この後、彼とわたしとの関係性が変
「貴方は出会ってから、わたしに色んなことを教えてくれたよね。パパの余命を前向きに捉えることとか、悲しい時には思いっきり泣いていいんだってこと、緊張した時のおまじない、それから」「えっ、そんなにありましたっけ?」 彼はここで驚いたけれど、わたしがいちばん伝えたい大事なことはこの先だ。「うん。……それから、恋をした時の喜びとか苦しさも、わたしは貴方から教えてもらったの。だから、この先もずっと貴方に恋をし続けていくよ」「はい。僕も同じ気持ちです。あなたに一生ついて行きます」「だから、それって花嫁のセリフだってば」 わたしはまた笑った。「――絢乃、桐島くん。式場のスタッフが呼んでるわよ。『そろそろフォトスタジオにお越し下さい』って」 控室のドアをノックする音がして、オシャレなパンツスーツを着こなした母が一人の中年男性を伴って入ってきた。「はい、今行きます! ――絢乃さん、では僕は先に行っていますね。フォトスタジオでお待ちしています」「うん、分かった。また後でね」 控室を後にする彼を振り返ったわたしは、母と一緒に立っている人物に目をみはった。 父に顔はよく似ているけれど、父より少し年上の優しそうな紳士――。「やぁ、絢乃ちゃん。久しぶりだね。結婚おめでとう」「聡一(そういち)伯父さま……」 それは、アメリカから帰国した父方の伯父、井上聡一だった。伯父にも招待状を送っていて、出席の返事はもらっていたけれど、どうして母と一緒に控室を訪ねてきたのかは分からなかった。「今日は、来てくれてありがとう。……でも、どうしてわざわざ控室まで?」「加奈子さんに頼まれたんだ。源一の代わりに、絢乃ちゃんと一緒にバージンロードを歩いてほしい、って。私は父親じゃないが、君の親族であることに変わりはないからね」「…………伯父さま、ありがとう……。パパもきっと喜んでくれてるよ……」 伯父の優しさが心に沁みて、わたしは感激のあまり泣き出してしまった。「あらあら! 絢乃、泣かないで! せっかくキレイにメイクしてもらったのに崩れちゃうわ」「うん、……そうだね。こんな顔で行ったら貢がビックリしちゃうよね」 慌てる母に、わたしは泣き笑いの顔で頷いた。 その後母に呼ばれたヘアメイク担当のスタッフさんにお化粧を直してもらい、わたしはウェディングプランナーの女性に先導され、母
彼はブルーのアスコットタイを結んでいる。これは「サムシング・ブルー」になぞらえたらしいのだけれど……。「貢……、それって新婦側の慣習じゃなかったっけ?」 わたしは婿を迎え入れる側だけれど、とりあえずこの慣習を取り入れてイヤリングと髪飾りをブルーにした。でも、新郎側がこれを取り入れるなんて聞いたことがない。「まぁ、そうなんですけどね。僕も気持ちのうえでは嫁(とつ)ぐようなものなので」「……そっかそっか。まぁいいんじゃない? 今は多様性の時代だしね」 何も古くからのしきたりに囚(とら)われることはないのだ。これがわたしたちの結婚の形、と言ってしまえばそれまでなんだから。「ところで貢、知ってた? ママがこれまで断ってきた、わたしの縁談の数」「いいえ、僕は聞いたことありませんけど。……どれくらいあったんですか?」「聞いて驚くなかれ。なんと二百九十九人だって!」「えっ、そんなにいたんですか!? 逆玉狙いの男性が」 彼はわたしの答えを聞いて、愕然となった。彼の解釈は間違っていない。「ママね、わたしが小さい頃からずっと言ってたの。『絢乃には、本心から好きになった人と幸せを掴んでほしい』って。よかったよー、貢がその中に入らなくて」「そうですね。これが絢乃さんにとって、いちばんの親孝行ですよね」「うん。わたし、貢となら絶対に幸せになれると思う。やっぱり、貴方とわたしとの出会いは運命だったんだよ。貴方に出会えて、ホントによかった」「僕も、絢乃さんに出会えてよかったです。もう二度と恋愛なんてゴメンだと思ってましたけど、そんな僕をあなたが変えて下さったんです。ありがとうございます」 こうして向かい合って、お互いに感謝の気持ちを伝え合えるってステキなことだとわたしは思う。この先もずっと、彼とはこういうステキな夫婦関係を築いていきたい。「絢乃さん、こんな僕ですが、末永くよろしくお願いします」「……何かそれ、もう完全に花嫁さんのセリフだよね」 思いっきり立場が逆転しているなぁと思うと、わたしは笑えてきた。「でも、わたしたちって最初っから一般的なオフィスラブと立場が逆転してるんだよねぇ」「……まぁ、確かにそうですよね」 貢もつられて笑った。今日みたいないいお天気の日には、笑顔での門出が似合う。梅雨の時期なのに今日は朝からよく晴れていて、絶好の結婚式日
――こうして、わたしと貢の関係は恋人同士から婚約関係となった。ちなみに、あの騒動のおかげでわたしたちの関係は世間的に公になったのだけれど、これは喜ぶべきだろうか? 真弥さんはあの日撮影した映像を、自分のアカウントでもXにアップしていて、その投稿は見る間に拡散したらしい。〈彼氏登場! いきなりハイキックとかカッコよすぎww〉〈彼氏、ヒーローすぎてヤバい〉 などなど、称賛のコメントと共に思いっきりバズっていた。 去年のクリスマスイブは彼と二人きりで過ごし、婚約指輪はそこでクリスマスプレゼントとして彼からもらった。小粒のダイヤモンドがはめ込まれたシンプルなプラチナリングで、多分価格もなかなかのものだったはず。彼の男気を感じて嬉しかった。 誕生日にもらったネックレスとともに、この指輪もわたしの一生の宝物になるだろう。 その夜は彼のアパートに泊まり、彼の小さなベッドの上で一緒に朝を迎えた。わたしの後から起きてきた彼と目を合せるのが照れ臭かったことが忘れられない。でも、それが結婚生活のリハーサルみたいに思えて、心躍ったのも確かだ。 三月の卒業式には、母と一緒に貢も出席してくれたので驚いた。母の話によれば、その日は一日会社そのものをお休みにしたんだとか。会長の新たな出発の日だから、社員一丸となってお祝いするように、と。「ママ……、何もそこまでしなくても」と呆れたのを憶えている。 四月最初の日曜日、両家顔合わせの意味も込めて我が家で食事会をした。料理は専属コックさんと母、わたしと史子さんで腕によりをかけて作り、デザートのイチゴのシフォンケーキもわたしが作った。桐島さんご一家のみなさんも「美味しい」と喜んで、テーブルの上にところ狭しと並べられた料理を平らげて下さった。 そこで、わたしと貢は驚くべき事実を知った。なんと、悠さんがお付き合いしていた女性と授かり婚をしたというのだ! 顔合わせの席にはその奥さまもお見えになっていて、お名前は栞(しおり)さんというらしい。年齢は貢の二歳上で、悠さんが店長を務められているお店の常連客だったそう。そこから恋が始まり、お二人は結ばれたというわけだった。……ただ、順番が違うんじゃないだろうかと思うのは考え方が古いのかな……。 そこから彼が我が家で同居することになり、二ヶ月が経ち――。 本日、六月吉日。愛する人と二人で選
「――絢乃さん、僕、覚悟を決めました。あなたのお婿さんになりたいです。僕と結婚して下さい。お父さまの一周忌が済んで、絢乃さんが無事に高校を卒業して、そうしたら。……で、どうでしょうか」「はい。喜んでお受けします!」 彼からの渾身のプロポーズに、わたしは喜び全開で頷いた。エンゲージリングはまだなかったけれど、気持ちのうえではもう、二人の結婚の意思は確固たるものになっていた。 思えば初めてわたしの気持ちを彼に伝えた時、子供っぽい告白になってしまった。でも今なら、彼にとっておきの五文字で想いを伝えられるだろうか。あの時から少し大人になったわたしなら……。「貢、……愛してる」「僕も愛してます、絢乃さん」 わたしたちは熱いハグの後、長いキスを交わした。「――ところで、絢乃さんは高校卒業後の進路、どうされるんですか? 僕、まだ教えて頂いてないんですけど」 帰り道、彼が器用にハンドルを切りながらわたしに訊ねた。……おいおい、今ごろかい。「わたしね、大学には進学せずに経営に専念しようと思ってるの。やっぱり好きなんだよね、会長の仕事とか会社が」「……なるほど」「ママは最初、大学に進んでもいいんじゃないか、って言ってくれたんだけど。最後には折れてくれたの。わたし、これまでよりもっともーっと会社に関わっていきたいから」「加奈子さん、絢乃さんに甘々ですもんね」「うん、まぁね。ちなみに、里歩は大学の教職課程取って、高校の体育教師目指すんだって。唯ちゃんはプロのアニメーターを志して、専門学校に進むらしいよ」 卒業後の進路はバラバラでも、わたしと里歩、唯ちゃんとの友情はこれから先も変わらない。きっと。
「――改めて、貴方には心配をおかけしました」 わたしはいつもの指定席である助手席ではなく、後部座席で彼に深々と頭を下げた。「ホントですよ。あれほど無茶なことはするなと言ったのに。ヘタをすれば、絢乃さん、アイツにケガさせられてたかもしれないんですからね?」 彼はまだご立腹のようだった。でも、それはわたしのことが本当に心配だったからにほかならない。「だーい丈夫だって。そのためにあの頼もしいお二人にも協力してもらったわけだし。いざとなったらボディーガードをしてもらうつもりで――。まあ、結局は貴方に助けられたわけだけど」「イヤです」「…………は?」 彼に唐突に話を遮られ、わたしはポカンとなった。「イヤ」って何が?「あなたが他の人に守られるなんて、僕はイヤなんです。あなたを守るのは僕じゃないとダメなんです。……すみません、ダダっ子みたいなことを言って」「ううん、別にいいよ。貴方の気持ち、すごく嬉しいから」 むしろ、ダダっ子みたいな貴方が可愛くて愛おしくて仕方がないんだよ、とわたしは目を細めた。「でも、今日ほどわたしは貴方に守られてるんだなって思ったことはなかったかも。ホントにありがと」 わたしはいつも、自分が彼を守っているんだと思っていた。でも、時々こうやって自分を顧(かえり)みずに無茶なことをしでかすわたしを助けてくれているのは貢だった。それは秘書としても、彼氏としても。「わたし、いつもこうやって貴方のことを助けてるつもりでも、結局のところは貴方に助けられてるんだね」 父の病気が分かってショックを受けた時、父が亡くなった時、親族から心ない罵声を浴びせられた時。それから会長に就任した時もそうだった。彼はいつもさりげなく、わたしの心の支えとなってくれていたのだ。彼の優しくて温かい言葉に、わたしはどれだけ救われてきたか分からない。「今ごろ気づかれたんですか? 僕の大切さが」「……うん、ごめん。でもありがと」「それにしても、僕を守るなら他に方法くらいあったでしょう? あえて僕と離れて、中傷の目を遠ざけるとか」「それは、わたしがイヤだったの。たとえ貴方を守るためでも、貴方と離れるなんてダメだと思った。だったら、一緒にいながら貴方を守る方法を取った方がいい、って。……まぁ、その分お金はかかったし、ちょっと危ない橋も渡っちゃったけど」 傍から見れば
――作戦は無事成功したものの、わたしは何だかワケが分からなかった。わたしもまたドッキリにかけられたような気持ち、というのか……。「……どうして貢がここに? 打ち合わせでは、あの場で登場するのは内田さんだったはずじゃ」「ああ、内田さんから連絡を頂いたんです。今日、絢乃さんが危ない目に遭うかもしれないから、新宿駅前に来てほしい、って」「相手が激昂してる時に、見ず知らずの男が現れたら事態が余計に悪化するかもしれないと思ってな。ここは格闘技を習得した彼氏に花を持たせてやった方がいいかな、って」「内田さん、そういうことは事前に教えておいてくれないと。わたしをドッキリにかけてどうするんですか!」 そういう問題じゃない気もしたけれど、わたしはとにかく一言抗議しないと気が済まなかった。「悪い悪い。でも、桐島さんが間に合ったんだからよかったじゃん」「そうですよ! 僕が間に合ったからよかったですけど、下手したら絢乃さん、本当に危ないところだったんですからね!?」 彼が怒っているのは、わたしのことを本気で心配してくれていたからだ。だからわたしは叱られているのに嬉しかったし、自分の無謀な行動を猛省した。「……ごめんなさい」「でも、無事でよかった……。本当によかった」 彼は深いため息をつくと、ここが公衆の面前だということもお構いなしにわたしをギュッと抱きしめた。「ちょっ……、貢……?」 彼はわたしを抱きしめたまま震えていた。泣いてはいないようだったけれど、それだけでわたしへの心配がどれくらいのものだったかが伝わってきた。 わたしは彼の背中に手を回し、そっと背中をさすった。父の葬儀の日、泣けなかったわたしに彼がそうしてくれたように。「ごめんね、貢。心配かけちゃって、ホントにごめん。……でも、心配してくれてありがと。もっと他に方法はあったはずなのにね。わたし、これくらいの方法しか思いつかなくて」 路上で抱き合っていると、周りが何だかザワザワと騒がしくなってきた。「……とりあえず、クルマに乗って下さい。話はそれからです」「そう……だね」 これ以上のイチャイチャは人目が気になるので、わたしたちは彼のレクサスへと移動することにした。「じゃあ、あたしたちもこれで撤収しまーす♪ あとはお二人でどうぞ♪」「絢乃さん、オレたちこれで五十万円分の働きはしたよな?」
何が起きたのか分からずパニックになっていたわたしを庇うように立ちはだかり、小坂さんにハイキックを一発お見舞いした。「ハイキック、初めて当たった……」 「…………!? な……っ」 一瞬で吹っ飛ばされた小坂さんは、この状況が吞み込めないらしかった。 わたしも呆然となっている場合じゃなかったと気を取り直し、強気な顔に戻った。「真弥さん、今の撮れた?」「はいは~い♪ もうバッチリ」 わたしが目配せすると、建物の陰からスマホを構えた真弥さんと、その後ろに控えていた内田さんが姿を現した。「アンタの裏アカ、あたしが乗っ取っちゃいました☆ 今ねぇ、この様子の一部始終が全国のアンタのファンに垂れ流されてんの。これでアンタ、俳優としても終わったねぇ。はい、ご愁傷さま」「小坂さん、貴方はこれまでにどれだけの女性を弄んで傷つけてきたんですか。女性だけじゃない。わたしの大切な人まで晒しものにした! 貴方、人の気持ちを何だと思ってるんですか! わたし、貴方のことを絶対に許しませんから!」「あんた、どうせ逆玉狙って絢乃さんとお近づきになりたかっただけでしょ? もうバレバレ。甘いんだよ、その考えが」 せせら笑うようにそう言って、真弥さんが腰を抜かしている小坂さんを見下ろした。「わたしは正式に、貴方を名誉毀(き)損(そん)で訴えます。顧問弁護士にはもう、訴訟を起こす準備を整えてもらってるので。ちなみに貴方、事務所をクビになってて後ろ盾はなくなったんですよね? というわけで、訴える相手は貴方個人です。覚悟しておいて」 わたしは次の一言で、彼に完全にトドメを刺した。「この件で、貴方は完全に社会から抹殺されるでしょうね。ご愁傷さま。女をなめるのもいい加減にして!」 この後パトカーが到着し、小坂さんは警察へ連行されていった。前もって内田さんが通報していたのだ。 こうしてイケメン俳優への反撃作戦は幕を下ろしたのだった。
「わたしの親友が貴方のファンなんです。五月に豊洲で主演映画の舞台挨拶なさってたでしょう? 彼女、部活があったから行けなくて残念~って言ってました」 これも真赤なウソっぱちだ。里歩はその頃とっくに彼のファンを辞めていたので、行きたがるわけがないのだ。「へぇ、そうなんだ? 嬉しいなぁ」「豊洲っていえば、ちょうどあの日、わたしもあのショッピングモールにいたんですよ。彼氏と二人で。偶然ですねー」 わたしは彼が気をよくした手ごたえを得ながら、ちょっと強気にカマをかけてみた。「へ、へぇー……。すごい偶然だねぇ。っていうか君、彼氏いるんだ? もしかして、撮影の時に一緒にいたあの男?」 彼は平然を装っていたけれど、明らかに動揺していた。わたしはこんな言葉使わないけれど、里歩や真弥さんなら「ざまぁ」と言うところだろう。「ええ。八歳年上の二十六歳で、わたしの秘書をしてくれてます。お金持ちの御曹司っていうわけじゃないですけど、すごく優しくて頼りになるステキな人です。実はわたしたち、結婚も考えてて。でも彼は決して逆玉狙いなんかじゃなくて、わたしのことを本気で大事に想ってくれてる人なんですよ。わたしも彼のこと、すごく大切に想ってます」「へぇ…………。じゃあ、なんで君は今日、俺を誘ってくれたの? そんな挑発的なカッコして、コロンの匂いまでさせて。……もしかして、俺を誘惑しようとしてる? 彼氏から俺に乗りかえるつもりとか」 この人、どこまで自分大好きなんだろう? きっと今までも、こうやってどんなことも自分に都合のいいようにしか考えてこなかったんだろう。「まさか」 わたしは鼻で笑い、彼をどん底に突き落とす宣告をした。「貴方が、その大事な彼を貶めるようなことをしたから、反撃しに来たんです。貴方が裏アカまで作って、彼に嫌がらせをしてきたから。わたしが分からないとでも?」「……っ、このアマ……」「ちゃんと調べはついてるんですよ。だからわたし、逆にそのアカウントを利用しようって考えたんです。貴方の本性を、ファンのみなさんにさらけ出すために。こうやって誘い出せば、プレイボーイの貴方のことだから食いついてくれるだろうと思って。でもまさか、こんなにホイホイ誘いに乗ってくるなんて思わなかった!」 ここまで上手く引っかかってくれるなんて思っていなかったので、わたしは笑いが止まらなくな
――わたしと〈U&Hリサーチ〉の二人で決めた作戦は、小坂リョウジさんの裏アカウントにDMを送り、真弥さんがそのアカウントをハッキング。彼をウソの誘い文句でおびき寄せて二人で会っているところを真弥さんに乗っ取った彼の裏アカでライブ配信してもらい、彼が本性を現したところでそのことを彼に暴露するというもの。よくTVのバラエティーでやっているドッキリ企画に近いかもしれない。 万が一のことを考えて、わたしは内田さんと真弥さんと連絡先と名刺を交換した。貢の携帯番号も教え、わたしの身に危険が迫った時には最終手段として彼に知らせてほしい、と内田さんにお願いした。 この作戦については話していないけど、調査については貢にも伝えてあった。調査料金として五十万円を支払ったことには、「そんな大金を払ったんですか!? 絢乃さん、金銭感覚バグってるでしょう絶対!」と呆れられた。わたし自身もそう思うけれど、彼を守るためなら一億円出したっていい。彼の存在は、決してお金には代えられないから。 顧問弁護士である唯ちゃんのお父さまにも、小坂さんを訴える準備をして頂いた。真弥さんにもらった調査内容はその証拠としてお預けした。ただ、正規ではない手段で手に入れた情報なので証拠能力がどうなのかは分からないけれど……。 ――そして、作戦決行の日が来た。 その日は土曜日で、貢には前もって「ちょっと用事があるから」とデートの予定を外してもらった。 内田さんの事務所を訪れてから決行日までの数日間、わたしの様子がおかしかったことは彼も気づいていたかもしれない。もしかしたら彼は、わたしの浮気を疑っていたかもしれないけれど、その心配なら皆無だ。内田さんには真弥さんという可愛い恋人がいるわけだし、わたしには貢しかいないのだ。 SNSでの誹謗中傷は、もうこのネタが飽きられていたのかパッタリ止んだ。その代わり、真弥さんが調べてくれた小坂さんのある情報が、Xで拡散されていった。彼はお付き合いしていた女性と破局するたびに、リベンジポルノを仕掛けていたらしいのだ。――これもまた、三人で練った作戦の一部だった。 普段よりちょっと露出度高めの服装をして、わたしは新宿駅前でターゲットを待ち構えた。少し離れた場所では、自撮りするフリをしてアウトカメラでスマホを構えた真弥さんと内田さんも待機していた。「――CM撮影の時以来かな